ジャズは難しい

休職してから初めて真面目に音楽を聞いている。転職してから精神的に余裕がなく、通勤時間が実質ゼロになった関係でアルバムを最初から最後まで聞いたり、お気に入りの曲を探すような時間が取れず、音楽に対する依存度が極端に低下していた。生活に余裕が無いと音楽は聞けない。

今日はこんな時間だがようやく時間が取れたため、さっき淹れた麦茶を耐熱ガラスのグラスに注いでクッキーと一緒に部屋まで持ってきた。今はスタンドの電気だけ灯けて、学生時代に好きだったアルバムを頭から聞いている。学生時代は大学まで約一時間、前職だと会社まで同じく一時間、往復だと一日で最低二時間、自分だけの時間があったのは幸せだった*1。理想を言えばこの部屋にオーディオ機器を揃えたいのだけれど、賃貸というか社宅という性格上大きな音を出しづらく、渋々ヘッドホンを使っている。耳が熱い。

ジャズは好きだったが自分に才能は無かったし、学生時代に才能の無さを理論や練習でカバーしようとも思わなかった。そもそも才能という言葉はそう簡単に使うべきではない。基礎練習の時間、聴き込んだ音源の質と数、踏んだ場数が一定のラインを超えていればジャズはできる。そのラインに達した人の間でのみ才能という言葉は語られるべきで、努力も場数も足りない一般人には羨む資格はない。今でこそ週3,4くらいでピアノは弾くけれど現状維持といった意味合いが強く、新たな技術や表現を身に着ける機会は少ない*2し、理論の教科書も途中で止まっている。仕事をしているときにも頭の中では音楽が流れているけれど、別に音楽で生きているわけではないので技術や才能を磨く必要は無く、仕事と音楽といずれも中途半端な人間に仕上がってきた。

僕にプレイヤーとして生きる未来はもう無いので、別に難しいことなんて考える必要は無く、ただSpotifyで適当に曲を流せばいい。ときどき会社勤めとアーティストを両立している人を見ると羨ましくならないわけではないが、自分にそこまで音楽に割くための時間も情熱も残されていないので仕方ない。読書だったりカメラだったり映画鑑賞だったり、そういう基礎練習も圧倒的なインプットも必要ない趣味に徐々に移行していく自分を見ている。自分の趣味だったり興味のあることに充てる時間は、歳を重ねるにつれて極端に減っていくってのは本当だったんだな。

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Around Istanbul University / Ricoh GR II 

*1:実際はまとめサイトTwitterを見るばかりだったとしても

*2:以前大阪でライブしたときの手癖を未だに引きずっている