大切なものを手放すタイミングについて

R-D1を手放すかもしれない。先日久しぶりに防湿庫の肥やしと化していた6Dを使ってみたところ、光の具合をよく考えてシャッターを切ればR-D1とかなり近しい画が撮れることに気づいた*1。もちろんCCDセンサー独特の濃厚な色味には抗いがたい魅力があるものの、発売されてから15年以上が経過しており、正直いつガタがきても不思議ではない上、ライカや国内主要メーカーの製品と違って修理は実質不可能となると、これはもういつ爆発するか分からない爆弾のような存在だ(と以前銀座レモン舎で言われた)。このタイミングでMマウントレンズ対応のミラーレスに乗り換えても悪くないのでは?

持っているレンズ資産を流用し、例えばSigma fpあたりを代わりに入手すれば同等以上の画質は得られるが、レンジファインダー独特の撮影体験は得られない*2。今の収入だとライカを買うのはやや厳しいし、Pixii社のカメラ*3だってまだ未完成だ。即ちR-D1と同等の撮影体験が可能なカメラは先にも後にもR-D1シリーズしか存在せず、尖ったコンセプトを下書きにEPSONが開発したこのカメラはまさに孤高の存在である。手放すときにはきっと後悔するだろうが、どのみちそう遠くない未来に別れることを考えると、まだ元気なうちに手放してしまったほうが幸せかもしれない。

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国立科学博物館にて R-D1 + Konica Hexanon 28mm f/2.8

*1:というより構図と光の加減を気にすればどのカメラでもいい写真は撮れる。センサーなんて関係ない。

*2:R-D1だとピントがズレていても画素数の関係であまり気にならないことも多い。

*3:つい先日2600万画素のthe New Pixiiが発表された。こいつはちょっと気になっている。