食べていくということ

いい家に住むこと、有名な会社で働くこと、めいっぱい稼ぐこと、幸せな家庭を築くこと、周りに感謝されること、有名になること。目に見える幸せの基準が増えれば増えるほど、叶えられなかった幸せのかたちに憧れを抱いてしまうのが人というもの。早くに人生の指針を決めて専門性を高める選択肢もあるなか、理系と文系を行ったり来たりした自分には確固とした軸が無く、漠然とした幸せに憧れを抱きつつどこかへ向かっている。

最終的には資本主義から脱却したいと願う割に日経平均株価に採用されるような企業で働いている。田舎に住みたいと言っているのに首都圏に住んでいるし、ともかく資本主義のど真ん中を大手を振って歩いている。学生時代の自分が見たら何と言うか。

この歳になると、朧げながら友人たちの今後の人生が想像できるようになる。中央省庁で身をすり減らしつつ国民のために身を削るひと、安定した職を辞して自分の腕一本で生きていくひと、外資で無茶苦茶働いて無茶苦茶稼ぐひと、何とも言い難い中途半端な自分よ。

モラトリアム期間を限りなく延長した結果辿り着いた人生だった。器用貧乏というか、極めて専門性に欠けるサラリーマンになってしまったな。きっとどこの企業でもそれなりにやっていける代わりに、ガッチリハマる場所は見つからず。食い扶持に困ることは無い代わりに、天職には出会うこと無く生涯を閉じそうだ。違う、まだ若いんだから何でもできる。今から熱中できることを探すんや。今が一番若いんだから。

昨日に引き続き、今日は昼間っから酒を飲んでいる。酒を飲んで風呂を浴び、飯を食って酒を飲む。一人で自分の世界に閉じこもるのはいいもんだ。言葉になる以前の微妙な感情がごちゃまぜになって溶けていく。言葉ってのは脳内の感情を便宜的に切り分けて表現してるだけで、100%完全に自分の感情や思いを表現し切れていないんだよな。だから語彙力によって思考の幅が決定されるってのはよく分かる。言葉になる以前の未熟で曖昧な、根源的な感情は酒を通してのみ表出するのではないかと思っている、今。

この数時間でどれくらい酒を飲んだかというと、700mlのジンビームを大体半分くらい。土曜は最強なので何でもできると先日書いた気がするけど、その気になれば日曜だって月曜だって最強になれることを知った。明日にどれだけ響くのかが不安だが、きっとなんとかなるだろう。そう、自分の人生に足りないのは前向きな気持ちだ。まだ体力もあって、多少の無理も効いて、経済的に余裕のある時期。20代の特権といったところか、このブースト期間を生かさない手はない。酒を飲んで多少前向きになれてよかった。寝ます。