カモミールティー

ティファールの調子が悪い。社会人生活1年目からずっと生活を共にしてきた相棒は、なんだか湯が湧くまでの時間が以前よりだいぶ伸びた印象がある。もっとも自分の気が短くなっただけかもしれないが、蓋のロックが甘くなった上にいくらクエン酸洗浄しても内部の汚れが完全に落ちなくなったこともあり、そろそろ買い替えるかもしれない。彼ともそろそろ満5年になり、来年からは6年目を迎えることになる。

今日は仕事があまり満足のいく出来ではなく若干落ち込んでいるころもあり、この時間にひとりカモミールティーを飲んでいる。味がするんだかしないんだかカモミールティーは判断に苦しむことがある。今飲んでいる、無印で買ったカモミールティーはおそらく判断に苦しむ方で、心が落ち着くような香りと目に優しい黄色のさらりとした(あまり味のしない)液体がDURALEXのコップに満たされている。さっきから北向きの部屋にこもってお香を焚き、カモミールティーを飲んで古い音楽を聞いている。北向きの部屋は寒く、お香のせいで呼吸が苦しい。とはいえ外はまだ寒く、凍えながら換気をするくらいならこのまま苦しんだほうがマシだと判断し、セラミックヒーターをガンガン効かせている。部屋は全体的に薄暗く、モニターの画面が眩しい。そういうわけだから机の上のカモミールティーは徐々に温度を失っていく。

なんのために仕事をするか考えられるのは少なくとも恵まれている。もともと仕事なんてしたくないが、仕事を通じてなにか楽しみを見いだせるのであれば幸せなことだし、金が無いと死ぬのでせめて食い扶持だけは稼がないと、と追い込まれているわけでもない。自己実現のための手段として仕事を捉えることができたらどんなに幸せだろうと考えることもあるし、かたや絶対に働きたくないと枕に顔を押し付けながら惰眠を貪ることもある。自分にとって仕事はそのどちらでもない、前向きと後ろ向きの間を中途半端に揺れ動くものでしかない。当然やる気があるときもそうでないときもある。前よりは楽しくやりがいもある仕事だが、出張もなくただ事務仕事だけをし続けているこの三ヶ月はだいぶしんどい。現場に行ってお客さんと話をして、出張途中の移動や縁のない土地に宿を取ってその地の飯を食うのは人生にとって必要不可欠だと今更はっきり認識した。もっともコロナさえ収まってくれれば現職でも出張はあるが、これほど長い間新幹線に乗らなかったのは社会人になって初めてであり、嘘偽りないことを書くとマジで体調がおかしい。移動したい。新幹線に乗ってあのメロディを聞きたいし、キオスクで菓子パンとお茶を買って車窓から外を眺めたい。

カモミールティーは人肌まで冷えてしまった。最近周りでキャリアの話をよく聞き、また自分自身も転職したことで、今の仕事のことや今後の人生のことを考える機会が増えた。就活を始める前に突き詰めて考えていればよかったんだろう。社会人経験5年目にして改めて自分の好きなことやできること、できないことについて考える。やっすい社宅の寒い部屋で、こんな時間だけど時折窓の外を眺めながら考えている。薄緑色のカーテンを開けると、窓ガラスから外の冷気がじわりと漏れてくる。駐車場の車は背の高い街灯に照らされてその背とボンネットだけが浮かび上がる。カモミールティーはもう無くなった。