川を見に行く

疲れたときは川に行くといい。川幅は広ければ広いほどいい。河川敷の芝生や川面へ向かう階段に腰掛けて、くしゃくしゃになった煙草を取り出して吸っていると色々なものが流れていく気がする。できれば晴れた日がいいけれど、そうじゃなくてもそれなりに風情があるので一回試してみて欲しい。鴨川でこれをやったときが一番資本主義社会から遠ざかっていたときだったと思う。

思い返してみると、最初に住んだ家は近くに藻川という(淀川水系猪名川からさらに別れた)小さな川があって、家の裏手の道路を横切ったらすぐそこが堤防だった。会社から早く帰った日(16時代)にはトランペットを吹いたり、カメラを持ち出してなんでもない景色を撮ったり、同期がスケボーを買った日には裏手の道路で練習したこともある。藻川は余裕で泳いで渡れるくらい川幅が狭く、トランペットの音は簡単に川を超えて反対側へ届いた。

次に住んだ家は淀川の近くにあった。そこは何十年前に建てられた団地で、最寄り駅へ向かうバスに乗り込んでちょっとした坂道を越えると向こう側に淀川が見えた。河川敷にはちょっとしたグラウンドがいくつも整備されていて、だだっ広い駐車場は無料で無限に使うことができた。河川敷近くには昔からやっているかき氷屋さんがあって、バイトの女子大生と歳のいったおっさんが二人で静かに氷を削ってくれる。

今の家の近くには川はない。一番近いのは荒川水系の小さな川で、歩いていける範囲はほぼ全て暗渠化されている。川の雰囲気はあるのに川面を見られないのは結構つらい。思い返せば実家から最寄り駅へ行くには大きな川を超えていく必要があって、そこで古い友人と酒を飲んだりお菓子を食べたりしたし、大学のキャンパス内にだって(申し訳程度だが)川があった。前の職場の近くには道頓堀川があったし、そもそも大阪市内には死ぬほど橋があった。

日常に閉塞感を覚えるのは、川に行っていないからかもしれない。ふと思い立って調べたら、実家近くに流れいていた川はぐるりとうねって川越へ向かい、そこから荒川と合流して埼玉と東京の県境の役割を果たし、そのあとは葛西臨海公園のあたりで東京湾へ注ぐという。時間のあるときに近くの川に沿って歩いて、行けるところまで行ってみるのも楽しそうだ。