秒速5センチメートル

秒速5センチメートルを見ました。ここ数年で一番デカいため息が出ました。

最初に出会った新海誠の作品が秒速5センチメートルでよかった。あれは間違いなく純度100%の新海誠だ。例えば自身にとって言の葉の庭新海誠の初体験だったら、もっと新海誠の作品に気軽に向き合えたはずなのに、抜群に運が悪かったとも言えるし、公開直後に触れられた強運の持ち主だったとも言える*1。いずれにせよ、今後死ぬまであの作品は自身の心の深いところで燻り続けることは間違いない。

成人を迎えて久しい今、豪徳寺から岩舟駅まで行ったことはないけれど、その気になればあの距離はちょっとした旅行にもならないくらいの距離だし、今は当時と違い列車の遅延といったトラブルはリアルタイムで連絡できる。けれどあの年齢の子供にとって転校や引っ越しは避けようのない大きな出来事で、不条理に友人や愛着のある土地から引き裂かれ、人によっては成人を迎えてもその記憶を引きずることになる。あの頃は周りの何もかもが絶対的で、自らの人生を自分自身の意思で動かすことができなかった。ただ何かに流されながら日々を生きていたんだよな。

これまで大きな喪失感を覚えることもなく順当に生きてきたはずなのに、経験したことの無い記憶がありありと蘇るのが恐ろしい。彼のように優秀ではなく、種子島のような土地に転勤したこともなく、誰かに好かれることもない人生だったが、不思議な現実感をもってあの頃、小学校から高校に至るまでの刹那的で美しい情景がフラッシュバックするのである。

今はもう恋愛とか言わずにそろそろ現実に向き合うターンに差し掛かっているわけだが、それでも第三部の主人公のようにある程度社会人経験を積み、彼の気持ちが多少なりとも理解できる歳になってしまった。何のために働いているのか分からなくなったり、懸命に足掻いても全てが悪い結果に終わったり、酒を飲んで物事の輪郭をぼやかしたり、15の頃は表層的にしか理解できなかった主人公の姿に自身を重ねられるまでに(良くも悪くも)自身の立場や年齢が変化したんだな。

このごろ何故か昔のことを偶に思い出すことがある。恐らく他には誰も覚えていないし当事者を除いては誰も知らない、もし自身が死んだらこの世から跡形もなく消えてしまうような記憶だけど、自分にとってそれはとても大切な記憶で、誰にも語ることはできないし語ろうとも思えない。それは時間の経過とともに嫌なことがどんどん削ぎ落とされて、ただ美しいだけの記憶だ。

きっと人は在りし日の黄金色の記憶に包まれながら死ぬんだろうな。そうありたいな。

*1:DVDボックスを買った福士は元気だろうか……