街を歩く

陽の登りきっていない澄んだ空気の漂う街を、なんとなく海の方へ向かって歩き、テイクアウトしたコーヒーを飲みながら改装中の美術館の横を通り過ぎる。深夜まで人通りの絶えないであろう繁華街もやがて朝陽が昇るころにはすっかり静かになって、ときどきゴミ収集車が通り過ぎ、昨日の続きを生きている若者数人組とすれ違う。まだ多くの人が眠っているから写真を撮っていても恥ずかしくなく、何度もレンズを交換してシャッターを切る。こういった行為は朝活とでも言うのかもしれないけれど、朝活という言葉から連想される行為とは遠く離れた行為だと思っていて、だから自分にとって大切な概念はむやみに名前を付けるべきでないと考えている。だから何?

この前横浜を歩いてきた。将来は横浜に住むと学生時代から決めていてその決心が揺らいだことは一度もない。しかし横浜は広く、その全てを知ることは難しい。とは言え将来住むにはある程度の土地勘があるに越したことはない。ちょうど先日友人と牡蠣を食べる約束が生まれたので、6時の電車に乗り込んで横浜へ向かうことにした。リュックサックに文庫本とカメラだけ放り込み、グリーン車に乗り込んで小一時間。外を眺めていると、昔歩いた街からまた別の街へとシームレスに繋がっていて、世界は地続きだということを意識させられた(品川から川崎、川崎から横浜と移っていく様は興味深かった)。

街を歩くときに大切なのは方向を間違えないこと。今回はざっくり赤レンガ倉庫を目指して適当に歩くことにした。ある程度南下したらランドマークタワーが見えてきて、そこからは雰囲気で辿り着けるだろうと予想した。NeWomanなんて昔は無かったはずだし、駅から横浜市立美術館に行くまでに大回りする必要はなかった。ただ学生時代のサークルの集まりで大さん橋だったり中華街だったりを回って、帰りに歩いた道をなんとなく覚えていたのが幸いして、さほど迷うことなくランドマークタワーまで到着することができた。

ランドマークタワーの直下にはドックがあって驚いた。あの業界にいなかったらドックなんて目もくれなかっただろうし、あちこちに点在している造船所時代の産業機械もただのオブジェにしか見えなかったはず。海の向こうに見えるのは日鉄の君津だろうし、以前来たときとはちょっとだけ見える世界が違っていた。

そこからまっすぐ赤レンガ倉庫へ行くのも憚られたので、一旦日の出町→伊勢佐木長者町のあたりまで歩き、大通公園をゆっくり北上?して関内に向かう。以前横浜ジャズプロで法政大学の2ジャズの方々がとんでもない演奏をしていた市役所はもう閉鎖されていた。なぜか森ノ宮の成人病センターを思い出した。ハマスタ横から日本大通り駅まで歩き、今度は馬車道へ向かい、万国橋の脇にある喫茶店で遅めのモーニングをいただいた。テラス席(というよりただの路面席)には着物を着た老人がコーヒーを脇に置いて本を読んでおり、一つ離れた席で同じように本を読んだ。1時間ほど本を読み、特に赤レンガ倉庫に行くわけでもなくパシフィコ横浜へ向かい、そこからバスに乗って横浜駅東口へ到着した。

東口で昔の友人と合流し、普通に生きていれば半年分以上の牡蠣を食べ、昼からワインを飲み、風に当たるためにぶらぶらと歩き、日産のショールームで車の運転席に座り、またふらふらと歩いて煙草を吸った。何にも縛られずに適当な時間を送ることができた最高の土曜日だった。

街を歩くときに大切なのは方向を間違えないことと先に書いたが、間違えないためにスマートフォンを使うのはいけない。歩く人々の流れ、周りの景色、山の形などを総合的に判断して目的地へ向かうのが楽しい。人がまとまって歩く先には駅や大規模なオフィス街があると相場が決まっている。迷ったら人の流れに乗るのがいい。どこかしらには辿り着くので、そこに到着してからまた次の手を考えるのがいい。いきあたりばったりでも案外なんとななるし大概どこにでも道は続いている。間違ったら引き返せばいい。そういうわけで街を歩くのは楽しい。特に陽の登りきっていない時間帯の街を歩くのは。